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イル・ヴィナイオーロ・ディ・トオル オイカワ / ルーナ ビアンコ IGT 2023

10,120円

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IL VIGNAIOLO TORU OIKAWA / LUNA BIANCO IGT 2023 原産国/地方:イタリア/トスカーナ タイプ:白(醸し) 品種:マルヴァジア・ビアンカ、トレッビアーノ 土壌:石灰質の砂泥土壌、貝殻が多い海由来の土壌でミネラルが豊富 サイズ:750ml ステンレスタンクでマセラシオン7日間。ノンコラージュ。粗めのフィルターをかけて 2024年4月に瓶詰め。 今回日本初輸入となるビアンコ!造られた数は僅か「150本」と超希少!まさに幻のビアンコ!五感を揺さぶられる圧倒的な個性!ザルトのユニバーサルグラスでも抑えきれない圧倒的なアロマ!エレガントで柔らかな黄桃や洋ナシのような濃密な果実味。海由来の貝殻が多い石灰質の土壌から来るミネラル感が雄大な果実を麗にまとめ上げてくれている。赤同様、切り絵作家の naolee さんがLUNAを描き、アートディレクターである奥様がエチケットをデザイン。(輸入元資料より) <イル・ヴィナイオーロ・ディ・トオル オイカワについて> 栽培醸造家 及川徹 TORU OIKAWA 日本ソムリエ協会のソムリエ資格、WSET Level3を保有。飲食店にて責任者やソムリエとして勤務。 2014年渡伊、2015年からカーゼ・バッセ・ソルデラ、カステロ・ ディ・アマ、パーチナで経験を積み、2020年に独立。栽培も醸造も最低限の介入を心掛け、栽培・醸造コンサルタントに頼ることなく、経験と自分の感性・感覚を生かし、ワイン造りを行う。 【BMO山田のインタビューより】 ●意を決してイタリアへ 山田)いつイタリアに渡ったんですか? 2014年の春です。日本からミラノに出店したレストランの責任者としてイタリアに。ワイン産地を駆け巡る日々でした。 2015年の夏、レストランを辞めて、夢であったブドウ栽培者/ワイン生産者となるためブルネッロ・ディ・モンタルチーノのカーゼ・バッセの門を叩いたのです。 ●カーゼ・バッセ時代 山田)カーゼ・バッセとは、凄いところによく入れましたね!? イタリア語が不自由だったので大変でした(汗)。ワイナリーの仕事も初めてだったので、変わった性格で有名だったオーナーのジャンフランコ・ソルデラには怒鳴られまくり(笑)。 (※)ちなみにソルデラはクビにした従業員の恨みを受け、2012年にワインのタンクを開けられ高級ワインを流出され、莫大な損失となった事件が起きたところ。この大事件は、当時衝撃的なニュースとして世界を駆け巡った。 強烈な性格の方でした。今まで同じような性格の方を見たことがありません(笑)。ジャンフランコにタンクのバルブはいつも両手で開閉しなさいと言われてました。ですがルモンタージュ中に急いで閉めなければいけない時があり、片手で閉めたら、、また怒鳴られ(汗) ワインを扱う時の道具の扱い方、いつも慎重に丁寧に仕事をしなさいと教えてくれていたのだと思います。ちなみにバルブをいつも両手で丁寧に開閉する人を、見たことがありませんけどね(笑)。変わった人柄でしたが、ソムリエとしての経験も見込まれたのでしょう。ジャンフランコにはよくしてもらい、通常は従業員にテイスティングなど決してさせないところ、同社の高級ワインをしばしば試飲させてくれたのです。 食事する時には運転手役や、ウエイターもさせられました(笑)。普段からジャンフランコの動作を観察していました。ジャンフランコはたくさんワインを飲んだ後でも、書物を読んで研究していた人でした。研究熱心な生き様にとても感化されました。カーゼ・バッセ時代は、この精神と具体的な栽培・醸造方法そして、ジャンフランコの思想・哲学をじっくり学びました。この貴重な経験が私の原点となりました。自分の目標とするワインはカーゼ・バッセのサンジョベーゼと決めたのです。 【ジャン・フランコから学んだこと】 ・ワインに対する情熱 ・強い信念を持つこと ・色々なヴィンテージの試飲を通して、ソルデラのワインの素晴らしさ、奥深さ ・イタリアで生きていく難しさ ・仕事に対しての取り組む姿勢   ●カステロ・ディ・アマ時代 山田)次は随分と大手の名門ですね! でも、日本人が働き口を探すのは、なかなか大変と聞きますが。 そうなんですよ、100件以上も履歴書をワイナリーに送った程です!いつか自分でワインを造る、と最初から心に決めていましたから。今でこそ知識と経験・資格等あるので、ワイナリーの仕事を探しても見つかると思いますが、イタリアは仕事を見つけるのが本当に大変です。 仕事探しで飛び込みで履歴書を持ち込んだりした経験が、その後、畑や醸造所の賃貸探しに生きています。 カーゼ・バッセで働いた後、知識・経験を積むために面接して内定を頂いた中から、最終的にアマに決めました。 醸造所や倉庫での仕事でスタートしました。しかしご存じの通り、大きなワイナリーですから、仕事が分業化されていて、倉庫ならずっと倉庫、ボトリングや出荷の作業だけしかできない。剪定を覚えたいと思い、倉庫から畑へ配置転換を直訴し、畑での仕事に変わったのです。2017年1月のことでした。 ●パーチナ時代 山田)今度は真逆の小さなナチュラルですね。 一通りの仕事をやらせてもらいました。2018年ヴィンテージの醸造は私がルモンタージュを担当したんですよ。 ●及川さんの畑 山田)さあ、いよいよ及川さん自身が手に入れた畑を育てることになりました。 畑は「モンテアペルティ」というキャンティ・エリアに位置し、土壌は石灰岩砂質。貝殻の多い海由来の土壌。東向きで、暑いキャンティエリアでも、ブドウが焼 けない貴重な畑です。 緩やかな傾斜かつ砂地なので、水はけもよい。やっとの思いで手に入れた畑を、丹精込めて育ててきて3年、2022年の今年は初めて惚れ惚れするような樹になってきました。 最初は樹勢が弱すぎたんです。 栽培は不耕起で有機栽培です。土を踏み固めず微生物の活動を後押しするためにトラクターを入れず雑草を残しています。いつかはイタリア人に「畑を借りないか?」と頼まれる生産者になるのが目標です。 ●チャレンジは続く! 山田)新しく醸造所を借りれたとか?やりましたね! 2020年VTはスケジョッラの一部を借りての醸造だったのですが、2022年の3月、自分だけの醸造所を持つことが出来ました!なので、21年VTはそこで瓶詰めしますし、さらにやりたいように醸造が出来るんです!! 私は、ワインは結果が大事だと思います。できたワインがどうか?なのであって、ナチュラルな栽培とか醸造手法をすること自体が目的になってはいけないと思っているのです。 醸造所にブドウが届く時が100だとすれば、100が105とか110にはならないのです。どんなに頑張っても。だから自然な栽培でよくできたブドウだけを収穫して、それをどれだけ損なわずに ボトルに詰め込めるか? もちろん、ケミカルで色々と手を加えてできたワインは本質的に美味しいワインにはならないと思っています。だから、どうすればいいか? これをずっと追求してきましたし、これからも追求し続けていきます。

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